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<早寝、早起きをして食卓を囲む健康な生活>(2017/6/10)

 『びわ』         詩 まどみちお
 
  びわはやさしい 木の実だから
  だっこしあって うれている
  うすい虹ある ろばさんの
  お耳みたいな 葉のかげに
   
      びわは静かな 木の実だから
      お日にぬるんで うれている
      ママといただく やぎさんの
      お乳よりかも まだあまく 

麦っ子と学童のビワの実が黄色に染まってきました。このビワの木は、のんちゃんのおじいちゃんからもらってきたビワの種から生まれたものです。毎年どっさり麦っ子に届いたおじいちゃんのビワ。今は大人になったOGのTちゃんが、おやつで食べたビワの種を持ち帰り家で植えたら、芽が出てきて麦っ子にもらいました。ぐんぐん大きくなり、たくさんの実をつけてくれます。おじいちゃんは亡くなりましたが、濃くてとても美味しいその味は引き継がれています。食べ頃が近くなると麦っ子で歌っている『びわ』の歌。みこべはこの歌を歌うと、いつも子どもの頃飲んだヤギのお乳を思い出します。学校から帰ってヤギのお乳をもらいに通った桑畑のそばの道。お乳をしぼるおばちゃんの手。お乳を入れたビンがほんのりとあったかかった。まどみちおさんの詩はどれも、本当にやさしくてなつかしくて深くて、郷愁を呼び起こします。誰からも愛されて歌い継がれていますが、104歳で亡くなるまでいったいどれほどの詩や歌を書かれてきたのでしょうか。『ぞうさん』『一年生になったら』などの曲はあまりにも有名ですが、こんな言葉も残っています。

―日本人は今のことに夢中になりすぎ大喜びします。負けたことを認められ ない。私も軍国主義に協力しかけました。醜いことです。

 今も、世界のどこかで戦争をしていない日は一日もありません。着る物も 食べる物もない人を助けたい。苦しんでいる人のことを考えずにはいられません。―
  
まどさんが生きておられたら、今の危うい日本や世界の状況をどう感じたでしょうか…。まどさんは104歳で亡くなられましたが、先日お亡くなりになった肥田舜太郎先生は100歳でした。広島の原爆で被曝され、軍医としてその当時原因も病名も分からなかった数多くの被爆者の治療にあたってこられました。あの大震災と未曾有の福島原発事故後の11月、麦っ子に肥田先生をお招きして「子ども達を放射能汚染から守るために」というテーマで講演会をさせていただきました。講演と質疑応答のおよそ2時間を、当時94歳の先生はずっと立ち続けてお話をされていました。イスをお勧めしましたが意に介せず、力強い声でていねいに質問に応じる姿に頭が下がりました。子どもの健康を心配するお母さん達からのいくつかの質問に対して「もはや、こういう世の中になってしまったのだから、自分の子どもだけ助かろうなんて虫のいい話です」そうきっぱりとおっしゃいました。世界は変わってしまったのだから、どう生きていくのかが大事ですと。数多くの被爆者の方々にずっと対峙された中から「放射能汚染に立ち向かうには、生きるんだ!という意志を持って一生懸命生きなければならないのです。自分自身が、自分の命の主人公になって、先祖から引き継いでいる免疫の力を守り、ひたすら健康に生きるよう意識し努力するしかないと思っています」という信念を貫かれました。では、健康に生きるとはどういうことでしょうか。
 
麦っ子は3.11以降、園内の環境を安全なものにする為の努力をずっと続けていますし、食材も水も安心して子どもが口にできるように厳選して提供しています。でも、それだけでは本当の健康な生活にはならないのですね。麦っ子はいろんな年齢の子ども達の中で身体を存分に動かして、毎日毎日群れをなしてひたすら遊ぶ生活ですが、肥田先生は食事のとり方にも言及されています。

◎ 早寝、早起きをすること
◎ 朝食は家族で食卓を囲むこと
◎ 食べ物は最低でも30回以上嚙んで食べること
◎ 発酵食品(味噌など)を摂ること
 ◎ 砂糖の摂取を控えること
 
真弓先生も、「昔の子どもは早起きをしてまず排便しなければ食卓には座れませんでしたよ」とおっしゃっています。お仕事で忙しい毎日かと思いますが、朝食の摂り方を一度しっかりと考えてみてはいかがでしょうか。
 * 『311以降を生きる:肥田舜太郎医師講演より』:肥田先生の講演記録映画に
麦っ子での講演の様子が映っています。        

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