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第三回目は、神奈川県座間市の麦っ子畑保育園。のどかな住宅街の中に建つ古い木造の民家は、ともするとそれが保育園とは気付かずに通り過ぎそうになるほど、日常性そのままの空間が広がっていました。低い竹垣の門に手作りの木の看板。敷地の中は木立がところ狭しと並び、私達が訪れた真夏日の強い陽射しをさえぎって、心地よい風を吹き抜けさせています。
門を通り抜ければすぐそこが園舎。呼びかけると、開け放された扉の向こうからTシャツに短パン姿の女性が園庭まで走り出て来て下さいました。が、ニコニコと出迎えて下さるその足下は、なんと裸足。サンダルをはくでもなく、素足のまま土の上をぺたぺたと・・・。
この方が園長先生とうかがって二度びっくり。若々しくて、気さくで、飾り気のない風貌。そして滅多にお目にかかれないほどの素敵な表情が非常に印象的な方でした。
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今年度(二〇〇二年度)より認定保育園になった麦っ子畑保育園は、園長の大島貴美子先生が二十五年前に自宅の一室から始められ、現在では七〇名近くの園児を預かっています。全員が園舎に入るとちょっと窮屈な感じですが、毎日のように大きな子が小さな子の面倒を見ながら散歩に出掛けているとのこと。
夏は園庭に設けられた手作りのプールで、弾けるような歓声を上げながらパンツ一枚か素っ裸で午前も午後も水遊びを楽しんでいます。数名いる乳児らは、玄関脇のベビーバスに水を溜めて無心に水とたわむれている様子・・・。プールの脇に立つ大きな杏(あんず)の木によじ登る子も、砂場で遊び始める子も、みんなパンツ一枚の裸ん坊。「この木は開園当時に苗から育てたものなんですよ。木登りしやすいように剪定し、実を取ったり、食べたり、園に欠かせない木になりました」と園長先生。
麦っ子畑を始める前、園長先生は公立の幼稚園等に勤務されていましたが、きまりが多くて思うような保育ができないことに葛藤を感じ、子ども達がのびのびと、そして保育者も一緒に楽しめるような園をとご自分で始められることになったそうです。そして、健康な子だけでなく、障害を持っている子やアレルギーのひどい子など、どんな子でも受け入れていこうということで、これまで実践されてきました。
無添加無農薬の給食、アレルギー児対応の献立という細かな配慮も、そういう志から必然的に生まれてきた流れなのでしょう。
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ここの給食は材料選びや調味料の厳選はもちろん、多い時には園児の半分近くを占めるというアレルギーっ子のために「油なしご飯」と呼んでいる特別食を用意しています。
これは言葉通り、油を一切使用しない他、主食のご飯も五分の一以上雑穀を入れたものにし、醤油はひえ醤油、味噌は雑穀味噌・・・と、アレルゲンとなりやすいものを極力除去し、体にやさしい材料を使用して作っているものです。もちろん、「普通食」の献立もとても健康的なもので、日本人が昔から食してきた日本の風土に合った献立で、季節のもの、できるだけ土地のものということをモットーにしています。油もごく少量で、牛乳は飲んでいません。
そのため、通常この人数の園児数なら調理師は二名のところを三名置き、細かい配慮を行き渡らせて調理している様子がうかがえます。
この嬉しい配慮、そして子ども達が大家族に包まれて過ごすかのような保育内容に惹かれてのことでしょう、遠方から時間をかけて毎日通ってくる園児や、近くに引っ越してきて通っている園児もたくさんいるようです。
そして卒園して行った子達も、事あるごとに園に出入りしているのも特長です。夏休みには静岡のセミナーハウスに在園児とともに合宿に行ったり、併設している学童保育に通い続ける子もいます。それ以外にもOBの高校生がアルバイトでいつも夕方には来ていたり、この日も、Tシャツ姿でプールの中に一緒に入って、子ども達の相手をしている姿が見られました。
園長先生のお話では、月に一度、老人ホームを訪れて、お年寄りとの交流もしているとのこと。お年寄りは感激に近い喜びようで、心から子ども達の訪問を楽しみに待っていてくれるとのこと。
そんな弱きも強きも、そして老若男女、さまざまな存在が出入り自由で暮らしているあたたかで伸びやかな空間、それが麦っ子畑なのだと、ここにいると肌で感じるのでした。
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給食の時間が始まりました。プールから出てきた子は、それぞれに手を洗い、パンツ一枚のままや、洋服を着たりそれぞれ好きな格好で、並んだテーブルに各自ついてゆきます。障害のある男の子の手を左右からお友達がつないであげ、この子も無事、手を洗ってきました。配膳は小さい子から順番。まだ離乳食まもない0歳、一歳の子達も手づかみやスプーンを持って黙々と食べはじめ、続いて二歳児、三歳児・・・。それぞれのグループの配膳が終わったところで「いただきます」と食べ始めていました。年長児と思われる子は随分長い間待たされていましたが、お友達と手遊びしたりお喋りをして、楽しそうに過ごしながら待っていました。
今日の献立は、粟入りご飯、大根とワカメの味噌汁、モロヘイヤと玉ねぎの和え物・・・と、ここまでが普通食とアレルギー食共通メニューで、このあと、普通食では人参とピーマンのきんぴらが、アレルギー食では人参とじゃが芋のきんぴら風蒸いために、豆腐の茄子のせが、蒸キャベツのいんげんあんかけに、となっていました。私は両方の献立をいただきましたが、いずれも素材の味が生きていて、あっさりと薄味ですが満足感のあるお料理でした。
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さて、麦っ子畑の給食が現在のようになった経緯を園長先生にうかがいました。
「きっかけは園の十周年記念行事の中で、小児科医の真弓定夫先生の講演会を開いたことです。子どもは土に触れることで育つというお話に始まり、人間の歯の組成を見ると、何をどのくらいの割合で食べるのがよいかがわかるということで、日本人にとっては、ご飯を中心に季節の野菜、海藻、豆類、魚という伝統的な食生活が理想的だとよくわかったのです。
それまでも栄養バランスやいろいろと気遣ってはやっていましたが、牛乳も飲んでいたし、肉や卵も食べていました。それでびっくりして、それから職員一同で勉強を続けてきて、今のような形になったんです」。
戦後広がった現代栄養学の考え方を根底から見直すには、勇気やそれ相応の勉強が必要だったことと思います。ところがちょうどその頃、なんのご縁か園長先生自身が乳がんを宣告され、それもかなり進んでいたので、現代医学の治療やむなきだったのですが、それをあえて拒み、途中でやめてしまって、食事や気功など生命力を内部から整えていく療法だけに切り替えるという道を選びました。西洋医学に頼らなくても元気になっていく方法がある、という確信を得たのは、このご自身の経験があったからとのこと。
肉体を日々作っていく食事、生命活動全体を高める運動や暮らしぶり、生き方・・・そういう視点がしっかりと根付いた時、保育の場でも遊び、食事、生活などの一つ一つに確信を持って活かされていったのではないでしょうか。
「給食を変えた当時は、もちろん大人も子どもも戸惑いました。でもやがて子ども達は以前よりたくさん食べるようになり、残飯も少なくなっていきました。偏食というのもほとんどないですね。
子ども達の様子で変わったのは、何より、うんちをよくするようになったこと(笑)。赤ちゃんは前にもましてご機嫌になったし、ここの子ども達は全体に小柄ですが、きゅっとしまった弾力のある体つきをしています。これは食事だけでなく、土に触れ、風に当たり、自然と一体となって遊んでいると
いうのも大きいと思いますが」。
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給食が終わって、三歳以上の子は各自で食器を調理室まで運んでいきました。ここで「作っている人」と「食べている人」との接点もできます。「全部残さず食べたね」「今日はこれが残っちゃったね」。調理師さんらは子ども達の様子をここで把握するとのこと。
お当番さんは、食べこぼしの散らかった教室を箒で掃いたり、椅子を重ねたりと手際よくお手伝い始め、残りの子ども達は、また素っ裸かパンツ一枚で外に飛び出し、プールに飛び込んだり、木登りしたり、木製のすべり台で遊び始めました。このなんともいえない子ども達ののびやかな様子を見ていると、本来あるべき子ども達の姿が都会の片隅でこうして生きていることに、日々、せちからくなっていく世相に失意を覚えながら子育てしている私などは、感に堪えないものを感じるのでした。
健全な生活があり、土や風や水と共にある遊びがあり、心と心のふれあいがあり・・・その一環として食事があるということ。とってつけた食事療法や栄養学ではなく、人間もまた自然の一部であり、自然に生かされているのだと気付けば、理論以前に、季節のもの、土地のものが本来の人間の食べ物だということは了解できるものと思います。でも、そんなシンプルな構造を私達が見失ってしまったのは、戦後の栄養学だの商業主義だのの巧みさに目をくらまされてしまったためでしょうか?
「食事をぞんざいにする子は、友達や大人との関係もぞんざいにするんですね。真弓先生は食事は心と体を育てるもの≠ニおっしゃっていますが、ただ食べるだけでなく、食事を通して、学ぶことは多いと思うんです」と園長先生。遊び食べ、散らかし食べ、きれいにさらえない、走り回りながら食べる、残ったものは惜しげもなく捨てる・・・そんな、現代では普通になってしまった子ども達の食事風景を思い起こすと、人間関係もぞんざいになっていくのはやむなき必然か?
と考え込んでしまいました。
でも逆を言えば、食事をきちんと整えていくことから、より良き人間形成も始められるということ。私達大人が、子ども達に残してやれる財産の第一歩ではないでしょうか。
取材日 二〇〇二年八月九日
まとめ 小林あゆみ
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